ビンテージな日々、今回はウインドサーフィン黎明期です。
ボードセーリングとも呼称されるウインドサーフィンが日本に上陸して40年ほどが経過しました。
湖沼でも海でもできる利便性からあっという間に流行し、現在ではオリンピックにも採用されています。
その黎明期、私も少し関わっていたので先駆者、鈴木兄弟たちのこと、書いてみます。
40年前ころ、鈴木兄弟は兄が西武日産の社員、弟が設備会社経営者だったと思います。
(弟の鈴木東英さんは後に、日本ウインドサーフィン協会を設立)
当時、鈴木兄弟と私たちの接点は、湘南葉山の材木座海岸でした。
私たちのヨットクラブは材木座海岸にK-16という自作デインギーを置いていました。
K-16は木製の二人乗りのヨットで、海岸から
台車を使って海に出て、江ノ島のレースに出たりしていました。
鈴木兄弟も材木座にディンギーを陸置していたのでいつしか知り合いになりました。
ある時、鈴木兄弟がアメリカに面白そうなヨットがあるので輸入してみたいと言い出しました。
話を聞いてみると、なにやらサーフボードにセールを立てたもので、
名前はウインドサーファーというらしい。興味はありましたが、ちょっと突飛な話だったので、
そのまま聞き流してしまいました。
しかし、その話もすっかり忘れていた頃、鈴木兄弟から連絡がありました。
”ウインドサーファーを輸入したので、一緒に試乗してほしい”
場所は東京湾、江戸川の河口でした。
それは、全長3.6m、重量約30Kgという巨大なサーフボードと呼ぶかヨットと呼ぶか解らないしろものでした。
あまり知られていませんが、日本のウインドサーフィンの歴史は江戸川河口から始まりました。
その後、鈴木兄弟は、ウインドサーフィンを日本に普及させようと活動を始めました。
私たちも誘われましたが、ヨットレース派の私たちとしては、こんな軟派なもの、流行るわけないと思っていたので
断ってしまいました。
いまでこそ、スポーティーですが、当時のウインドサーファー艇は、セールをかかえて水面にプカプカ浮いているだけだったのです。
普及活動には参加しませんでしたが、艇体作りの手伝いはしました。
おそらHoyle Schweitzerとの契約が成ったのでしょう、ウインドサーファー艇の国産化に協力してくれないかと打診がありました。
図面を持って鈴木兄弟が川口に来たのは、それからしばらくしてからでした。
製作担当は私の兄でした。
兄はK-16をはじめ30フィートのクルーザーなど私たちの船をすべて自作していたのです。
打ち合わせには私も参加、4人で色々議論しました。
木型を当社で作り、金型は知り合いの会社を紹介、ということで話がまとまりました。
英語の設計図から原寸大の図面を引き、木型は30cm間隔で作った姫子松を張り合わせて製作しました。
なにしろ3.6mの艇体を無垢の木作ったわけで重量はたいへんなものだったのを覚えています。
国産のウインドサーファー艇は結構売れたらしく、その後何種類か木型の注文がありました。
最後は、たしかウインドサーフィンスター級とかいう艇だったと思います。
その後、双方とも忙しくて連絡もままならなくなってしまいました。
それでもウインドサーフィン業界の発展は見聞きするにつれ嬉しい限りでした。
最近知りましたが、現在、東英さんの作った協会にかわって、ウインドサーフィン連盟という組織が、日本の表舞台に立っているようです。
どういう経緯があったか知りませんが、鈴木兄弟の功績は日本のウインド史に永遠に残ることにはかわりないと思います。
江戸川から40年。
あの時、誘いに乗ってウインドサーフィンの事業に参加していたら、今、どうなっていたのか、
ときどき思います。
グラスアイオンライン